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2006年9月 3日 (日)

団長閣下の暴言04

ラオウに学ぶ

INTRODUCTION 冥界からの誘い

 君は死んだことがあるだろうか?

 ・・・あ、ゲームの中の話だぞ。

 大部分の人間がYESと答える。数年前まで、私はそう思っていた。

 ところがだ、ある事情からそのときのプレイヤー達に、同様の質問をしたところ、半分以上がNOと答えた

 NOと答えたのは、二~三年以内にゲームを始めたプレイヤーばかりだった。別に、彼らがゲームを数多くやっていなかった訳ではない。本当に、PCが死ぬという事態に遭遇しなかった、若しくは徹底的に回避して来たのだ。

 かつてダンジョンもの全盛の時代では、PCを殺し過ぎるマスターは敬遠された。俗に言うオーバーキルという奴だ。まあ、理不尽に殺し続けりゃ、プレイヤーに嫌われても当然だが。

 当時の入門書にも、PCを生かさず殺さずがうまいマスターで、勢い余って殺してしまうのが初心者マスターであるという趣旨の文章が、見受けられた。

 今、思い出してみると、ある程度慣れたマスター相手に、狡っ辛いプレイヤーが集まると、PCが死ぬというイベントは、クトゥルフ等の例外を除けば、確かに珍しいことだった。

 もちろん、プレイヤー達が生き残るために、ゲーム外でも知識を溜め込み、可能な限りの論理武装をしてゲームに臨んだ結果でもある。

 と言っても、随分殺された。当時は、プレイヤーとマスターの知恵比べという構図が、明確だったからなあ。気を抜けば、即座にPCはマスターの毒牙にかかった。今考えると、悪いプレイの見本の様だ。

 そういう訳で、死に様まで考える奴は、あまりいなかった。むしろ、死はいかにしても回避すべきものだったのだ。

 しかし、時代は変わった。

 最近ではハック&スラッシュではなく、ストーリー性を重視するルールも多くなってきた。たとえそういうルールでなくても、シナリオがダンジョンの外に出てきた時点で、ストーリーが出来るのは必然だった。

 てゆーか、昔っからストーリーはあった。昔のダンジョンもののリプレイを読み返してみても、ちゃんとストーリーがある。単に比重が違っていただけだ。

 昔のリプレイの戦闘シーンの描写は、数値とプレイヤーの悲鳴がメインだったが、最近のリプレイではアムロとシャアの如くPCとNPCが喚きまくっている

 で、初心者プレイヤーの行動が昔と変わらないとなると、ちょっと・・・いや、大分まずいぞ。

 よく見られる恐い光景がある。

 何かが原因でPCが死にそうになった。そのプレイヤーは、PCの設定も過去の行動も忘れ、全てのしがらみから解き放たれたかように、生き残ることに全力を傾けた。それまでのPCの人生って、一体・・・。

 いくらなんでもマズかろう? 最初から、そういうキャラクターだったのなら、問題は無い。
 でも、取り敢えず言わせてもらうぞ。

 オマエラ、そんなに生き残りたいか?

 考えてもみろ。死なんてイベントは、大抵のキャラクターにとって、一生に一回しかない大イベントだ。ここで一発キメなくてどうする?

 という訳で、今回は死に華の咲かせ方だ。

LESSON1 身辺整理

 まず、逆に生き残ることを考えてみよう。

 死に華の咲かせ方とはいえ、いくつかの例外を除いて、最初から死ぬことを想定してプレイするのは、マスターに失礼だし、何よりつまらん。

 という訳で、ゲーム内で必死に生き残ろうとする事自体は、間違いではない。PCの立場から考えても、普通は生き残りたい筈だしな。では、どこで死に方を考えるのか?

 答えは「理由ができたとき」だ。

 映画やマンガなんかで、よくあるだろう。二人のうち、どちらかしか生き残れないとか、もう明らかに限界を越えてるのに愛する人のために闘い続けてる戦士とか。

 例えば、二人のうち、一人だけが生き残る事ができるという状況下で、それまで仲間だった二人が、いきなり殴り合いを始めるというのは、マンガ等ではまず無いだろう?少なくとも私は、ギャグ以外でそんな話は知らんぞ。

 大抵は、ここでドラマが生まれる訳だ。つまりは、当事者達にとって一番の見せ場だ。もちろん、二人とも生き残るために、必死で考えること自体は正しい。ただ、打開策が見つからないとき、死に方を考えるという選択肢があっても、良いのではないのか?

 もう一つの限界を越えて闘う戦士でもそうだ。ここで、プレイヤーが冷静に

 「バーサークが終わる前に、ヒーリングをかけてくれ

 なんて言っては、このキャラに愛された奴の立場はない。

 先程も言ったが、死は一生に一回の大イベントだ。つまりは容易にドラマを盛り上げることができる。単発物のプレイやキャンペーンの最終回ならば、間違いなくドラマの主役だ。

LESSON2 命ぃをすぅてぇてぇ、オレはぁいーきるー

 はっきり言って、死に方なんてのはキャラクターの性格や、周囲の状況により、千差万別だ。しかし、カッコイイ死に方となると、いくつかのアーキタイプがあるのも事実だ。思いつくままに列挙すると、

◆かばうor守る
◆状況を変える
◆無駄死に

大抵はこのバリエーションの筈だ。

 例をもとに、それぞれのパターンを解説しよう。毎度ながら、過去に我が団であった実話だ。

 深淵というゲームがある。ドラマ性を重視した、実によくPCの死ぬゲームである。このゲームでまっとうな人間が、どうやっても生き残ろうとする事自体が、無茶なのだが・・・。

 そのプレイヤー・・・仮にN(黒骰子団本部注:仮名になってないんですけど・・・)としておこう。Nは深淵において高潔な騎士を演じていた。深淵では騎士にはオプション装備として従者が一人付いてくる。

 Nが演じる騎士はプレイ中、騎士道と周りとのしがらみの板挟みになりながらも、高潔な態度を崩さず、シナリオは佳境へと移っていった。

 クライマックスで、彼は信じていた者に裏切られた絶望の中、崩れる塔の下敷きになろうとしていた。

 マスターは、Nに脱出のための判定の難易度を告げた。かなり高い。ところがこのゲーム、自分の寿命を一年削る毎に、判定の達成値を上げられるという、誠に危険なルールがあった。

 Nはキャラクターシートを見た。ちょっち厳しい。それに判定に成功しても、寿命が無いんじゃあ・・・。ふと、横に目が行く。

 高潔なる騎士は、従者にきっぱりと告げた。

 「セバスチャン!寿命を使え!
 「は?ご主人様、寿命とは何ですか?

 この後、マスターは問答無用で判定を要求し、高潔な筈だった騎士は瓦礫の下に埋まった。Nは生き残ることに必死になるあまり、ルール用語とPCの台詞との区別すらついていなかったのである。

 三年経った今でも、前前回の講座のO氏は、なぎら健壱よろしく歌っている。

 (黒骰本部注2:本人に確認したところ、モンティパイソンのホーリーグレイルのつもりだそうです)

 「そのとき、高潔なる騎士はぁ~、従者を突き飛ばし、走る、走るぅ~」

 さて、この高潔なる騎士が死ぬとしたら、どのように君は演じるだろうか?

LESSON3 漢の背中

 かばう・守る

 早い話が、身代わりや盾となって攻撃を受けたり、一人敵地に残り仲間が逃げるを稼ぐとかいう、よくあるタイプである。正直、あまりにベタベタで恥ずかしいので、私自身はあまりやらないが、最も容易な方法ではある。

 タクティカルに考えても、目的達成を第一に考えた場合、自分より重要な役目の人間を生かすという考えは、間違いではない。結果として、それがハッピーエンドや目的達成に結び付いた場合、そのシーンは極めて印象的だ。

 更に、この方法にはメリットがある。助ける相手がPCだった場合、自分の恥ずかしさが軽減されるのだ。

 なぜなら、PCが相手の時は、必然的にそのプレイヤーとの掛け合いになる。君は当然のようにクサイ台詞で、語りを入れながら死んでゆく。すると相手のPCは、嫌でももっとクサイ台詞で返さなければならなくなる。

 結果、君のクサイ台詞よりも、相手のクサイ台詞の方がより印象に残り、君は後日、笑ってそのセッションを振り返ることができる。

 それらを踏まえて、高潔なる騎士でやってみよう。彼は絶望の中にいたのだから、ここで死ぬとしても理由は十分だ。次に、誰かを守るのなら、相手が必要である。従者をかばっても良いが、下手をすると一人芝居をする羽目になる。

 ここはやはり、PCや重要ゲストの方が良いだろう。塔が崩れ始めた当初、彼には仲間がいたし、この塔には住人がいた。

 ならば話は簡単だ。ここはやはり、自分を絶望させた相手あたりが、意外性もあっていい。後はマスターに、かばうことで相手の目標値を下げるよう交渉して、一発クサイ台詞をはけば良い。

 ここで君のPCが死ぬことで、生き残った相手は、嫌でも死に行く君の姿を瞼に浮かべ、アツい行動を取らなければならない筈だ。君はニヤニヤ笑いながら、その姿を見ていればいい。

 状況を変える

 誰も悪くないのに、戦いになる。多くの人々を助けるために、罪もない人を殺さなければならない。PCが一番悩むのは、そんなときである。

 そういう悲劇を回避するために、自分がスケープゴートとなって死ぬとか、敢えて全体の敵となって、立ちはだかるという方法だ。つまりは、自分の死を呼び水として、絶望的な状況を脱しようという事である。

 もっとも、実際にやろうとすると、四つの中で一番難しい。何しろ、やれるタイミングが見つからないし、この方法でいきたいと思っても、その手段が思いつかない。しかしそれだけに、成功すると一番美味しい死に方である。

 バリエーションは多いが、取り敢えずお手軽なのは、悪党のフリをすることである。で、別のPCに討たれる。そこでそのPCが「お前、わざと・・」とか言ってくれると完璧である。

 大抵の場合、一般のNPCには理解してもらえない、酷ければ憎まれることもあるが、PCや親しい人間だけがその真意を理解し、涙するという、まあ何というか、よくある話である。

 では、高潔なる騎士でやってみよう。ちょいと難しいが、この場合、絶望のあまり死を決意したことにしよう。

 で、塔が崩れ始める前に、いろいろな会話や葛藤をつづけるPC、NPCに対して、突然絶望あまり気が狂ったかのように切りかかり、塔の外に追い出す。そして、崩れる塔の出口で、他の人間が塔から出たのを確認して、扉を閉めるなんてどうだろう。

 PC達は騎士が扉の向こうに消える直前、別れの呟きを耳にするのだ。ここまで演出すれば、マスターも達成値がどうのと無粋なことは言うまい。

LESSON4 リンダリンダ

 無駄死には、主役の死に方ではない。なにより、シナリオの目的達成に、まるで寄与しない可能性まである。が、うまくやれば、主役以上に目立ち、格好いい。

 やるタイミングは、自分がいなくてもシナリオの目的達成が可能と分かったときだ。そうでないときにやったら、他のプレイヤーに何を言われるか分からんぞ。

 無駄死にといっても、全くの無駄では、ただの自己満足である。その死は印象的でなければならない。映画「プラトーン」の有名なシーン、男が両手を振り上げて叫ぶアレだが、あの直後に彼は死ぬ。完璧に無駄死にだったが、主人公より目立っていただろう?

 「太陽にほえろ」の松田優作の死ぬ回なども良かった。よく見たらあの死自体は、犯人逮捕にまるで寄与していないんだな、これが。

 無駄死にが似合うのはやはり、意外性があり、よく出てくる奴。ここでこいつが死ぬかあ?と思わせる奴が印象的だ。戦隊モノなら青だな。

 では、騎士でやってみると、これは簡単だ。脱出しなければいい。崩れる塔の中に、立ちつくす高潔な騎士。印象的ではないか。

 無駄死にには別パターンもある。私的には最も好きな死に方だ。極めて秀逸な資料がある。アニメ版「北斗の拳」これのザコキャラ

 死に方、負け方、台詞回し。どれを取っても、最高である。それまでの余裕が崩れ、一気に弱さが露呈する。やけに人間臭くていい

 この人間臭さが、何とも格好いいときがあるのだ。大抵のTRPGは人間を演じる。パーティ全員がヒーローであるより、一人くらいこんな奴がいた方がそれらしいではないか。

 高潔な騎士の場合、あれは正しい。従者を突き飛ばし、恥も外聞も無く逃げて死ぬ。男らしいじゃないか。ただ・・・「寿命を使え!」はねえだろ?N!

LAST LESSON 死の先にあるもの

 私は、最も良いセッションとは、その場で楽しかったというだけではなく、後日仲間が集まったときに、いつでも話題に上る、言い換えれば、心に残るセッションでえると考えている。

 そして格好いいプレイ、格好いいシーンは、笑えるプレイや死ぬほどつまらなかったセッションと並んで、最も心に残る。何度も言うが、まだ生きることのできた人の死とは、極めて重大なイベントであり、格好よく決めるべきイベントなのだ。

 もし君が、これをうまく決めれば、君のプレイはいつまでも君の仲間達の心に残り、君のプレイは話題に上るのだ。

 「こいつなあ、この間のセッションで・・・無茶苦茶クサかったんだぜ!!

 仲間の評価なんて、大抵こんなもんだがな・・・。

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