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2017年7月14日 (金)

ref20170714人間の一生(後編) 人生という冒険とライフサイクル

前編はこちら
ref20170606人間の一生(前編)
https://kokutoarchives.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/ref20170606-92e.html

 

おとな

 <就職(社会への参加)
成年期(独身)
 
<結婚
成年期(既婚)
 
<出産≒命名式
成年期(育児)
 <こどもの成人

 伝統的な社会のおとなはとても分かりやすい。仕事で一人前となり、成人儀礼とともに結婚し、こどもが生まれ、そしてこどもが成人して独立する。

 対して現代の日本を含む先進国では、就職で本格的に社会に出て、独身時代を過ごす。その後結婚する者もいれば、しない者もいる。こどもを持つ者もいれば、持たない者もいる。

 場合によっては、表面上は明確なおとなの印を持たないまま人生を送る者もいるのだ。ちょうど、年齢が高いPCのライトモチーフがこれに当たる(“永遠の若者”だ)。家庭を持っていたり、こどもがいる者は“冒険”しないからだ。(→hekc090302個人的自由と独立

 では“おとなのPC”は存在しないのか? その答えを出すには、おとなとは何か? この疑問にそろそろ決着をつけなければならない。

結婚の核
 先ほどの通り、おとなになるということは、いつでも結婚ができる状態になったということだ。しかし、実は結婚そのものがおとなになる条件ではない。

 こどもができないことを理由に結婚を解消できる社会や、この本にある通り、こどもができることで正式な結婚とする社会がある。

 このことでも明らかなように、結婚の目的はこどもを産み、育てることだ。よって、まずその焦点になるのは性交渉≒生殖行動だ。動物の場合、雌雄の個体が一緒にいるのは、交尾のときだけということも珍しくはない。哺乳類でさえ、育児を雌のみで行う種がある。

 つまり性交渉は、実はもっとも小さな単位の結婚とも言い換えられるだろう。恋愛中の人間も小さな結婚を繰り返しているともいえる(こどもは求められていないだろうけど)。

 そして言うまでもなく、鳥類や哺乳類のこどもは単独では生存できない。生まれた個体を自立できるまで育てる必要がある。これを雌雄で育児を行う形態にして環境、これが結婚のもう一つの定義だ。

 「産む」か、「育てる」か、この2つの定義は、互いを補い合っている。産んだだけではこどもは育たないし、そもそもこどもがいなければ育てられない。それでいて両者は一体ではないのだ。

 よって一生に複数回交尾~子育てを行う動物は何度も結婚していると言える。この点で見れば、現代人の多くは一度しか結婚しないし、できない。子育てに時間がかかり過ぎて、一度目の結婚が終わる頃には、肉体的に、また経済的に結婚できなくなるからだ。(→ref20160829人間の動物化

結婚の今昔
 先ほどの通り、伝統的な社会であれば、おとなになれば、同時にあるいは数年を待たずして結婚する。なぜなら、相手はすぐに見つかるからだ。

 親や周囲の大人たちの間では、社会的に条件の合う異性が、すでにピックアップされており、本人たちの意思が介在する隙間もなく、結婚が決まってしまうのだ(「結婚しない自由」がないとはこういうことだ)。

 このように伝統的な社会における結婚は、非常に人工的なものだ。そして予測の通り、文化の産物である。非常にたくさんの儀礼でできている(伝統的な社会の結婚の事例は旧p149「性、愛、結婚」が詳しい)。

 また、大家族の間で行われる人間や物資(お金)の交換という取引であり、経済や政治的な面も非常に大きい。結婚する本人たちはその中心ではあるものの、交換儀礼を構成する歯車でしかないのだ(一番大きいのだけど)。

 むしろ現代の方が個体の意思に拠る点を重視する面があり、どちらかといえば自然状態に近い気がする(もっとも動物の場合は本能的な決定であるので、それを個体の意思とするかは不明だ)。

 とはいうものの、文化的な側面はちゃんと残っている。ただし伝統的な社会とは違う方向で、人工的なのだ。それは現代の結婚が子孫を残すことに直結していない点だ。

 伝統的な社会の結婚は、子孫を残すことをあからさまに求める。誰もそれを個人の意思になぞ託さない。現代の日本なら、人権侵害と眉をひそめられるようなことも、公然と発言される。

 しかし現代の結婚はそこまでは求めない。法的な結婚は、その前の段階、環境を作るところで止めている。そのため、単に男女が一緒に暮らすときの契約でしかない。

 これは恋愛結婚を前提にしているからのようだ。一緒にいる生きる意思を持った男女に、法的な裏打ちを与えるのが目的だと思われる。

 今まで結婚した者がこどもを持っていたのは、従来からの価値観があったからだ。ただし、この結婚観だけでは、こどもを持つことに抵抗を覚える状況が来ても抗う原動力にはならない。状況が悪くなれば、こどもを持たなくなるのは、当然の帰結ともいえる。

 とはいうものの、日本における結婚後に子供ができる割合は以前と変わりないらしい。結婚≒生殖と捉える視点自体は健在なのだ。そうなると、結婚≒生殖そのものが行われなくなった。

結婚に結びつかない恋愛
 現代の日本において、結婚が減っている直接の原因は経済的な問題らしい。つまり育てられないから結婚≒生殖しないのだ。結婚の前提となっている恋愛もまた、同じ道を歩んでいる可能性がある。

 恋愛という言葉は「romantic love」の訳語として明治期に発生したものらしい(旧p158「恋愛結婚」)。「romantic」には、「空想的」あるいは「物語的」という意味合いがある。要するにここで想定されているのは、非日常的で劇的な男女の出会いなのだ。

 恋愛が劇的であるためには、対置される基準が必要だ。それは、結婚のときと同じ、従来からの価値観だ。社会や親から逸脱して、自分たちの意思で結婚相手を決めることが恋愛なのだ。

 逸脱する価値観がなくなってしまった現代では、様々な形で恋愛は変容した。

 なんとかその定義に沿うために、あの手この手で劇的な出会いを作り出そうとする。バブル期の日本では、やたらと費用のかかるデートマニュアルが作り出された(金を払う男と体で返す女という構図だ)。

 あるいは以前からある、お見合いや若者組の寄り合いの変形に過ぎない婚活パーティや合コンを、過剰なイメージを“盛って”演出しようとした(本当か?)。

 一方、真の劇的な出会いを求める者は、それらを「romantic」のねつ造として忌避する。そして出会いがないと嘆いた(本当か?)。

 決定打は、恋愛のゴールが結婚だと認識されなくなったことだ。従来の価値観に対抗しているがゆえに、そこには結婚が無意識の前提として置かれていた。しかしその価値観自体がなくなってしまった時点で、それも一緒になくなってしまったのだ。

 今や恋愛は、性交渉のある私的な付き合いでしかない。目的も、いつ終わるかも分からない、“男と女のラブゲーム”に陥っている。

不完全な自立
 そもそも、伝統的な社会の結婚の定義がこうなったのは、生物的な必然からだ。もし個体が子孫を残さずに死んだ場合、それが続けば、その種族は滅びてしまう。誰かが命をつながなければならないのだ。

 現代の結婚にも、恋愛にも、明らかに欠けているのはこれだ。自分が生まれる前、そして死んだ後に対する視点だ。命の連鎖の中にいる自分を見つけることだ。

 この視点を欠いた者は、自分が生きている間のことしか視野に入らない。そうなると結婚や恋愛を個人の損得でしか見られなくなるのだ(コスパとか)。

 それなら、結婚や恋愛をしない者が増えてもおかしくはない。独りでいても十分に楽しい昨今だ。そこまでして深く人とつながる必要はない。

 仮に結婚を考えたとしても、それは二人のため、性行為はあくまでも二人の愛のためだ。敢えてこどもは求めないだろう(後述するが、性の理解不足によって“できてしまう”ことはあるが)。

 また、性行為が生殖行為そのものだという視点が欠けてしまうと、単に快楽を貪ること、卑しい(嫌らしい?)こととして、否定的な見方をされてしまう可能性がある。

 余談だが、現代の日本で言われている(らしい)性教育の不足は、性への否定的な視点が原因の1つではないだろうか。性について公に語れない環境では、理解が進まないのは当然だ。

 前編の通り、エリクソンによると、青年期の心理的課題はアイデンティティの確立らしい。つまり個として自立することだ。しかし生物としての側面を無視すれば、このように孤立してしまう。

 つまり、個々の存在が他者とのつながりで成り立っていることを、理解しなければならないのだ。これをエリクソンは「親密性」という言葉で表している。異性に限定した解説が多いが、要するに「誰かと一緒に生きて行く」ことだ。

 ただし、それだけでは、先ほどのように“二人だけ”、あるいは“友達だけ”でもOKになってしまう。それで今は良いかもしれないが、時間が経つにつれ、問題が出て来るだろう。同世代の人間は時間が経つほど減って行くものだからだ。

 ヨコ軸だけではなく、タテ軸の関係、世代についても理解しておく必要がある。そうすることで、単なる生物の知識ではなく、心情として「命を繋ぐこと」の意味が分かるだろう。

 就職して社会に出た者の課題を言い換えると、「ヨコだけではなく、タテの他者とのつながりの意味を理解する」ことだ。これができれば、家族を作ることに抵抗がなくなるはずだ(これが高い年齢≒能力から始まるPCの課題だ)。

おとなとは何か
 家族を作る意味を、単に「自分たちのこどもを産み育てる」ためと考えるのでは不十分だ。それだけでは、偏狭な血統主義と変わりない。それに血統≒遺伝的要素を残したところで、どんどん薄まって行く。数世代で個人的な意味は無くなるだろう。そもそも、幾ら子孫を残しても、それは自分ではない。自分自身は死んでしまうのだ。

 個人にとって、直系の子孫を残すこと自体にはそれほどの意味はないのだ。動物が直系の子孫を残そうとするのは、社会的な仕組みが弱いからだ。彼らは血統にこだわっているわけではなく、個人規模でしか子孫を残す仕組みを持たないからだ。

 人間なら、社会全体として、分業で行っても良いはずだ。必ずしも、自らが産む必要はない。先ほどの通り、産むことと育てることは分離できる。育てても良いのだ。それは直接こどもを養育するだけではない。自分より下の世代に、何かを教えたり、援助することのすべてが含まれる。

 結婚しなくても、こどもを持たなくても、次世代のためにできることがいくらでもあるはずだ(これをエリクソンは「世代性」としたが当倶楽部では「生殖性」とする)。先ほどのフレーズを「次の世代を担う者を用意し、自分たちの後を託すこと」、と言い替えてみると、どうなるだろう。

 これなら、産むにしても、こどもである必要はない。後世に残るものであれば何でもいい。その意味で何かを作ること、あるいは発明、発見することのほぼすべてが当てはまる(役に立つかどうかは、後にならないと分からないからな)。

 かなり以前から人間は過剰気味だ。先進国では少子化が始まっているが、人類全体の人口は増え続けている。地球全体で適正な人口を考える時期に来ているかもしれないのに、誰も彼もが子孫を残す必要はないのだ。

 こうなると結婚の意味が少々変わってくる。一緒に生きる者とその場となる家庭を作るためだ。人間は社会性のある生き物であり、その最小単位が夫婦、つまり複数人の一番小さい値なのだ。よってその組み合わせが同性であっても構わない。そこで子孫でなくても良いから、次世代に残すものを生み出せば良いのだ。

 真の自立とは、個として自立を保ちつつ、全体への、特に次世代への視点を持てるようになることだ。普段はできる範囲の中で保護や援助を与えつつ、いよいよとなったとき、自分ではなく、他者を、特に自分より後に来た者を優先できるようになることだ。

 言い換えれば、他人を助けるだけの実力を持っていて、かつそれを行える者のことだ。あるいは、その気概を持つ者だ(やってみないと分からないからな。まずは行動だ)。結局、文化化のところで書いた通り、「おとなになる」とは、受ける側から与える側に回ることなのだ。

 えらく理想的だが、あくまでもゲームや物語の中のことだ。また、こうでなければ誰も共感してくれないだろう。だから価値観が異なったとしても、生殖性だけは万人に受け入れられるのだ。(→ref20131101善悪の定義

 よって成人期(既婚)の課題は単に「次世代を育てる」だけではなく、その中で「生殖性を身に付ける」ことだ。おとなとは、生殖性を理解するだけに止まらず、何らかの形でそれを実行した者のことなのだ。

 次世代への行動を実践すれば、そこには必ず障害が発生し、問題が起こる。それを解決することで本当の生殖性は身に付く(逆に言えば、ただ結婚したり、こどもがいるというだけでは、生殖性は身に付かないのだ)。

 育てているこどもとの関係についてはp217・旧191とも「X親と子」が詳しい。伝統社会だからと言っても、一筋縄ではいかない複雑な事情があるのだ。

 TRPGの歴史的構造を考えれば、家族を持ち育てているといった通常イメージされるおとなは、先ほどの通りPCとして、難しいかもしれない(つまり「親密性」を得たPCは、その後の選択によっては、冒険ができなくなる立場になるかもしれないのだ)。

 しかし、ある特定の分野や世界に対し、生殖性を発揮しているキャラクターといったものなら、十分あり得るだろう。この通り、ストーリー的な見せ場も十分にある。何らかの理由でスタンダードなおとなにならなかった理由も、ロールプレイとして楽しそうだ。

 特に、NPCとしてもPCたちが属する業界の年長者、先行者といった者が考えられる。通常のおとなと共に、PCを援助したり、導いてくれる存在となるだろう。いずれにしても、セッションには必要なキャラクターだ。

老人

 <こどもが独立する
熟年期
 <定年退職≒職業を引退する
老年期
 <介護が必要になる
老年期
 <第一の死
殯(もがり)の期間≒死者
 <葬儀(野辺送り)
死出の旅≒死霊
 <第二の死(祖霊化)
祖霊

 老人となると、ますます誰にも一致した特徴を探すのが難しくなってくる。そこで分岐点として3つの指標を用意した(p237「XI中年と老年」)。

 そして死後について「死者・死霊・祖霊」の大きく3段階を設定した(p263「XII死後の世界」)。本人は死んでしまった後のことなので、どうしようもないことだが、ゲーム世界によっては存在する場合もあるので触れておこう。

熟年の発生
 現代の若者と老人はおとなとの関係において共通点がある。いずれもどこかにハッキリとした区切りがなく、小さな区分によって段々とおとなへと近づいたり(若者)、遠ざかったり(老人)していくことだ。

 現代のおとなと老人の間には熟年という、いわば老人への移動期間がある。伝統的な社会にはなかった区別だ。これは若者とおとなの間に発生した移動期間と似ているが、こちらには意図的なだけではなく、半ば強制的にも事態が進む。

 こどもの独立や定年退職は、本人の行動はなくとも、時間の経過によって発生するからだ。また、現在のところ、身体の衰えは遅らせることはできても、止めたり、まして若返ることはできない。

 そのため、本人の志向や行動によってその経緯にはバリエーションが生じるものの、おとなよりは分かりやすいと言える(最後は死と決まっているし)。

 先ほどの通り、老人への大きな指標は3つある。まず家族的なものとして、こどもが独立して手を離れるとき、この後に孫が発生して、こどもの子育てを手伝うといったイベントが待っているが、一応はこれで一旦手を離れる。

 職業からの引退は、指標としては少し微妙だ。勤め人のように定年がある場合は明らかだが、自営業なら判断を自分でしなければならない場合もある。また、一線は退くという形で完全にはやめない場合もあるが、これも引退の一種と捉えて良いだろう。

 身体的な指標は「他人の手による世話が必要になる≒介護」だ。身体が衰えて、他者の直接のサポートがないと生活が送れなくなる、というのは老人の明らかな指標になる。

 おとなにこれらのイベントが起きて行くことで、熟年は始まり、老人にたどり着くのだ。

持っている老人と持たない老人
 おとなの役割は次世代を育てることだった。育てるとは相手を一方的に成長させることではない。こどもを育てることで親が、部下を育てることで上司が、生徒を育てることで教師が、教える方もともに育つ。

 さきほどの通り、実践によって、生殖性を身に付ける。人間の人生にはくり返しはほとんどない。ほぼすべてが初めての経験だ。実践で身に付けるしかない。おとなは渡すだけではなく、実は受け取ってもいたのだ。

 育てることを止めた者に残った役割は何だろうか。それは自分がいなくなった後のことを考えて、人生の後始末をすることだ(要は終活だ)。エリクソンが「統合」と呼んでいるものだが、要は自分という存在の再確認だと思う。

 財産の処分などの一般的なものから、家庭や仕事で未解決になっている問題、個人的に気になっていることを、片付けるのだ(NPCがやり残したことをPCが代わりにやる。シナリオの良いネタになるぞ)。

 中でも一番大事なことが、後世に何かを遺すことだ。もちろん一般的な意味での財産などではない。自分が生きた結果、痕跡としての何かだ。形がある場合もない場合もある。

 育てるのとは違い、身に付けさせるわけではない。ただ残し、ただ渡すのだ。生殖性を身に付けたものは、何かを遺さざるを得なくなる。その振る舞い自体が何かを産み出すことそのものだからだ。

 いわば身に付けた生殖性の確認である。自分の存在の再確認とは、自分が他者とともに生きていること、今でも、そしてこれからも、そのつながりの中にあることの確認なのだ。

 逆に言えば、何かを現世に残していくから、死が受け入れられるのだ。先ほどの通り、アイデンティティの確立が一面的であった場合、それは生殖性の欠如として現れる。

 後世に残す者を持たない老人は死を恐れる。死が自身の消滅でしかないからだ。自分が生きている間の視点しか持たない者は、自分の後に何かが残るなんて考えもしないのだ。

 あるいは逆に自分の痕跡を永遠に残そうとする。しかし“持っている”老人はそんなことは気にしない。なぜなら、自分を知っている者たちだって、せいぜい1世紀程度でいなくなってしまうからだ。何かを永遠に残したところで意味がない。

 余談だが、人間が死ぬときに気にするのは、自分の近くにいる者のことだ。何かを残すというのも、彼らのためであり、彼らとの関係が良好であれば、満足して死ねる。人間の幸不幸は結局のところ、目や手の届く範囲の問題なのだ。

 こういう“悟ってない”老人、特に権力者はNPCとして魅力的だ。不老不死とか、永遠とか、さらなる権力を求めて無茶をしてくれる。それが良いシナリオのネタになるのだ。

死後の世界
 実は、人は死んで終わりではない。多くの社会では、死んだ者は死霊となり、死のけがれを振りまく(死の自己主張だ)。そのため、生者は死者をあの世に送り出さなければならない。

 余談だが、アンデッドが現世にいると困る理由がこれなのだ。死とは「存在しないこと」なのに、いるのだ。この矛盾が死のけがれとして表れているのだ。

 死にさらされて、荒んだ者の魂を鎮めるために行うのが「もがり」である。この間、生者は死者の死を嘆き、死者を慰める。死者が落ち着いた頃、葬儀が行われる。

 葬儀によって死者は、現世からあの世へと送り出される(つまり死霊になる)。日本の葬儀の最後に棺を運ぶ野辺送りは、この典型だ。

 この過程を、死霊から祖霊への移行期間である「死出の旅」と見なす場合が多い。葬儀の際に死者に旅装束を着せる社会は多い。

 エリクソンは人生の最後の課題を「超越」としている。訳文を読んだが、正直よく分からなかった。しかし当倶楽部でこの言葉から想像されるものは一つしかない、「シフト≒個体化」だ。(→hekc090903シフト≒個体化

 彼らは新しい状態になるのだ。それは別の世界へ進むことでもある。現世から常世へと「シフト」するのだ。現実的に考えた場合、死ぬということ以外、特段変わったことは起こらないので、ここでは敢えて詳しく触れない(本人には一大事だけどね)。

 なお、あの世への移行は基本的に、肉体の消失に比例する。多くの社会では物質的に安定した骨になる期間をこれと見なしている(野ざらしや鳥葬など)。

 つまり現世では肉体の消失が、あの世では霊的な変化が、同時並行で進むのだ(当倶楽部の考え方なら、1つの存在の2つの側面といった方が分かりやすいかもしれない)。(→hekc090801視点の転換

 余談だが、この間にきちんと供養がなされないと、死霊は祖霊になれずに現世に帰って来る。すると前述の通り、死のけがれを振りまき、生者を苦しませることになる。つまり死んでほったらかしの死者は現世に死霊として残ることになるのだ。

 祖霊になると名前がなくなり、単なる「ご先祖様」になる。いわばアイデンティティの解体である(いわば「シフト・ダウン」だ)。(→hekc090903個体化の終わり

 要は死んでしばらくは故人を覚えている者もいるが、時間が経てば、名前だけになり、最後は一括りにされてしまうのだ。

むすびに
 人生は旅に例えられる。

 今回の旅はまず、あちこちにある異文化の人生を見てまわる物見遊山だった。それは一方で、現代の日本を顧みる旅だった。調度、前世紀末ぐらいに流行った若者の自分探しの旅だ。そう、あのインドとか行くヤツだよ。

 海外に行けば、自分の属している文化や価値観にかかっている偏向を、如実に感じ取れるものだと思っていた。そこで改めて、自らの出自を確認して、帰ってくるものだと思っていた。

 実際のところはどうだったのだろう。よく「面白く」なって帰ってくる例を耳にするが、あれは悪目立ちなのだろうか。一時的なカルチャーショックが収まれば、落ち着くのだろうか。

 かく言う当倶楽部も少なからずショックを受けた。今の日本の姿にかなりの歪さを感じたからだ。これでは結婚や恋愛に消極的になるのもうなづける。少子化は当然の結果だと納得してしまった。

 しかし、きっとこのままということはないだろう。今の日本には人が多すぎるという言説を聞いたことがある(出典不明)。人口の減少と並行して“re-Structuring”が行われれば、バランスが取れるようになるのではないかと思う。

 もっとも、そのためには、団塊世代の大量老化、大量死を乗り越えなければならない。内的な理由で人口が減少していくという、今までにない、エキサイティングな時代に我々は生きているようだ。

 人生の旅に例えれば、今の日本は老人の時代に入っているようだ。今までのイメージでは、人生はハードル競技のようなものだった。次々と発生する障害を乗り越えながら先に進むのだ。

 しかし、この論考を終えた後では、坂道を、気を付けながら降りていくイメージが優勢になっている。躓けば一気に転げ落ちていくのだ。

 どちらが正しいというものではない。前者はこどもや若者といった上り坂のイメージ、後者はおとなや老人といった下り坂のイメージなのだ。

 よってこの場合、すれ違う者たちに持ち物を手渡しながら、最後は一人、手ぶらでふもとに降りていく感じではないだろうか。そして「終末の浜辺」にたどりつき、迎えの船に乗るのかもしれない(『指輪物語』だ!)。

 余談だが、日本は国家なので、基本的に寿命はない。よって日本自体が消滅しない限り、死は結果的に取った最低値でしかない。しかし再生が始まるためには、やはりある程度のレベルまで身軽に、つまり自由になる必要がある。

 消滅しなくて、かつ、新しいことが始められるぐらいには資質を保持した縮小だ。実は先ほどの“re-Structuring”には、こんな条件が付けられているのだ(なかなか厳しいね)。

 TRPGの場合、PCのライトモチーフからして、どうしても前者のアッパーなイメージが強くなってしまう。ただ、そういった場合でも、後者の裏打ちを受けることで、その冒険にはより深みが出るだろう。

 もし、最近セッションに何かが足りないと思うようになったときには、後者のテーマである生殖性について、考えてみるのも良いのではないかと思う。彼らの成長が、誰かの助けによる可能性についてだ。

 ここまで、かなりの文字数を費やしたが、『オックスフォード動物行動学事典』で触れた動物のライフサイクルと、それほど大きな違いは出せなかったように思う。あるとすれば、より広く深い他者とのつながりではないだろうか。

 人間はひとりでに生まれて来るわけではない。そこには誰かがいるはずだ。同じように育つときにも、そして育てるときはもちろん、老いて死ぬときにも、誰かがそばにいるはずだ。繰り返すが、人生においては、彼らとの関係が実は一番大事なのだ。

 エンターテイメントにおいて、人間を描くことは絶対に外せないことだ。その意味で、ライフサイクルとそこから生じる人とのつながりは、魅力的でかつ普遍的な題材である。

 ただし、それはあくまでもシステムのテーマが充実している場合に限ることを、もう一度明記して筆を置こうと思う(万能なだけに、頼りすぎないでね)。(→hekc090403人間ドラマは隠し味

 ところで、このコンテンツには、ほか以上に今後も手が入る可能性が高い。人は生きている限り、人生について考え続けるだろうし、感じ続けるだろう。人生は死ぬまで続くからだ(当たり前だろ!)。

 今日のところはここで終わる。それでは、またどこかで。

人間の一生 -文化人類学的探求- 目次

 はじめに

I人間と文化 7
 1文化とは何か 7
  人間の科学と文化
  文化ということば 
  日本語と文化
 2動物人間 9
  ホモ・サピエンス
  動物の社会
  シンボルと人間
 3文化の概念と定義 12
   (1)文化の記述的定義
   (2)文化の歴史的定義
   (3)文化の規範的定義
   (4)文化の適応的定義
   (5)文化の構造的定義
   (6)文化の意味論的定義
   (7)その他の文化概念
  文化の<超有機的性格>と<超個人的性格>
  <精神文化>と<物質文化>
  <あらわな文化>と<かくれた文化>
 4人間の一生と文化 20
  「文化の乳」を飲む
  人間の一生と<通過儀礼>
  時間と文化

II文化化の過程 27
  はじめに
 1文化化の概念 28
  文化化とはなにか
  文化化と社会化
  「補充機能」としての文化化
  「維持機能」としての文化化
  文化化の諸形式
 2文化化の過程 33
  人生の区切り方
  初期文化化と後期文化化
  文化化の四段階
 3文化化の諸段階 35
  育児・しつけ――第一次文化化
  成人――第二次文化化
  成人式の機能
  就職・結婚――第三次文化化
  老後の世界――第四次文化化
 4文化化の効果と限界 41
  国民性研究
  新文化とパーソナリティ学派
  認知人類学
  今後の課題

III子どもの世界 47
  はじめに
 1子どもとはなにか 48
  児童観の文化的・歴史的変異
 2異なる文化のなかの子どもたち 53
  幼児期
  母と子のコミュニケーション
  きょうだい
  男の子・女の子
 3子ども時代のもつ意味 64

IVことばと人間 67
  はじめに
 1言葉の習得 67
  成長過程と言語
  アヴァロンの野生児
  アマラとカマラ
  経験論と理性論
 2動物のコミュニケーションと言語 72
  野生の伝達
  ワショーとサラ
  言語との相違
 3言語への関心 75
  言語学の成立
  構造言語学
  生成文法
  文化人類学と生成文法
 4文化と言語 81
  未開と言語
  言語と世界像
  サピア=ウォーフの仮説

V男性と女性 87
  はじめに
 1性の社会性 87
  性の生物学的側面
  性の社会化
  性の社会的制度化
 2役割体系からみた男性と女性 90
  性と年齢の原理
  性による分業
  狩猟採集社会における性の分化
 3性の社会的展開――韓国社会の場合 95
  儒教倫理と性
  内外の別
 4性の象徴的世界 98
  二次元的世界観
  性の転位
  性とタブー
 5社会変化と性 102
  役割体系の変化
  性の再社会化
  性差別からの解放

VI仲間集団 107
  はじめに
 1アフリカにおける仲間集団 108
  円環型
  直線型
  年齢階梯別(世代別)村落
 2日本における仲間集団 112
  日本農村における一事例
  日本の都市における一事例
 3アメリカにおける仲間集団 119
  むすびに

VII成人式の意義 127
 1成人式とはなにか 127
  その性格と定義
  通過儀礼としての成人式
 2成人式の過程と構造 131
  分離の儀礼
  過渡の儀礼
  統合の儀礼
  成人式の象徴的構造
 3成人式の機能 137
  成人式の社会化機能――社会人類学的観点
  成人式の社会化機能――心理学的・教育学的観点
  成人式と秩序の更新
 4現代社会における成人式 143

VIII性、愛、結婚 149
 1性と愛の民族誌 149
  現代社会の性と愛
  狩猟社会と部族社会の性と愛
  農民社会の性と愛
  儀礼としての男女交際
 2結婚への過程 156
  婚前交渉はなぜ禁止か
  デートとコートシップ
  恋愛結婚
 3だれと結婚するか 159
  インセスト・タブー――近親相姦の禁止
  結婚の贈答
  複婚
  結婚儀礼
 4結婚とはなにか 164

IX家族と親族 169
  はじめに
 1人間の一生と家族・親族 170
  定位家族と生殖家族
  社会化と家族・親族
 2家族・親族の通文化的諸相 171
  家族・親族の諸相と人間関係
   <キクユ族>
   <ナヤール族>
   <アメリカ>
   <日本(同族)>
  家族関係用語の諸問題
   <(核)家族>
   <出自集団>
   <居住方式>
 3家族・親族と全体社会 177
  家族・親族と経済体系
   <モースとレヴィ・ストロース>
   <女の交換と物の交換>
  家族・親族と政治体系
   <家族・親族組織と政治組織の一致>
   <政治体系と親族集団>
  家族・親族と世界観
   <ブルム族の事例>
   <親族と文化体系>
  キンドレッド
 4人間の一生と親族用語 184
  親族用語の意味
   <名称と呼称>
   <系譜関係と対人関係>
   <親族名称と分類>
  宗教・政治運動と親族用語
 5家族の将来――むすびにかえて 188

X親と子 191
 1子の合法化 191
  核家族の子どもの認知
  ナヤールの親
  生理学的父親と社会的父親
  法的な父親
 2親-子の象徴的結びつき 198
  事例
  出自と親子関係
 3単系社会における親子 201
  接触する世代間の対立
  タレンシ族の父と息子
  バソガ族における父親の権威と葛藤
  母系トロブリアンド社会の父親

XI中年と老年 213
 1年齢と文化 213
  年齢の人類学的考察
  中年の考察
  老年・老人の考察
  老化の四つの側面
   生物学的・医学的側面
   心理学的側面
   社会的側面
   文化的側面
 2諸民族の老人たち 218
  老人と人類学
   文化とパーソナリティ
   ライフ・サイクル
   年齢階梯制
   長老制
   通過儀礼
  部族社会の老人たち
  産業社会の老人たち
 3老人の地位と役割 222
 4老人と家族、親族 226
  むすびに

XII死後の世界 235
 1霊魂観と他界 235
 2通過儀礼としての死 236
 (1)第一の死と第二の死
  霊魂の他界への移行
  通過儀礼の一段階としての葬儀
  葬儀の段階区分
  「第一の死」から「第二の死」への移行
 (2)現世からの分離ともがりの時空間――「第一の死」
  もがりの時空間
  異常死のばあい
 (3)死出の旅――「第二の死」への移行の過程
  死出の旅
  死出の旅の準備
  「死後の世界」の行路
  副葬品
 (4)死後の世界への<入社式>――「第二の死」
  死後の霊魂の<入社式>
  死者の国への関門
  天国と地獄
  浄罪の過程としての煉獄
  複数の天界と輪廻転生
  西欧社会の地獄観
 3死後の世界の諸相 250
  「死後の世界」の位置
  「死後の世界」の形状
 4「死後の世界」と現世との対話 251
  <祖先崇拝>の行事
  <シャーマニズム>
  むすびに

 

新編 人間の一生 <文化人類学の視点> 目次

 はじめに

I人間と文化 9
 1文化とは何か
  人間の科学と文化
  文化ということば
  日本語と文化
 2動物人間
  ホモ・サピエンス
  動物の社会
  シンボルと人間
 3文化の概念と定義
   (1)文化の記述的定義
   (2)文化の歴史的定義
   (3)文化の規範的定義
   (4)文化の適応的定義
   (5)文化の構造的定義
   (6)文化の意味論的定義
   (7)その他の文化概念
  文化の<超有機的性格>と<超個人的性格>
  <精神文化>と<物質文化>
  <あらわな文化>と<かくれた文化>
 4人間の一生と文化
  「文化の乳」を飲む
  人間の一生と<通過儀礼>
  時間と文化

II文化化と教育 37
 1文化化と教育の概念――はじめに――
 2文化化の諸段階
  育児・しつけ――第一次文化化
  おとなになるための準備――第二次文化化
  就職・結婚――第三次文化化
  老後の世界――第四次文化化
 3おとなへの旅立ち
  親からの分離
  成年式
  日本人の成年
 4成年儀式としての学校
  学校の機能
 5文化化と文化変容――むすびにかえて――

III子どもの世界 63
  はじめに
 1時代・文化と子ども観
 2子どもの生活を規定する文化要因
  生計維持体系の違いと子どもの世界
  意味体系の違いと子どもの世界

IV人の一生とことば 89
  はじめに
 1言葉の習得
  子どもの言語獲得
  野生児
  合理論と経験論
 2動物のコミュニケーションと言語
  野生のことば
  類人猿と「言語」
  言語の本質
 3言語と文化
  相対論と普遍論

V男と女 113
  はじめに
 1誕生と育児
  一姫二太郎
  浄めと忌明け
  男の宮参り
  女の宮参り
 2一人前と成人
  男の節供、女の節供
  男の遊び、女の遊び
  一人前と成女
 3厄年と年祝い
  男の運、女の運
  男のヤクドシ、女のヤクドシ
  折り目と災厄

VI遊びと仲間集団 133
 1遊びと集団
  人間と集団
  血縁・地縁・約縁
 2仲間集団とボランタリー・アソシエーション
  ボランタリー・アソシエーションとは
  アメリカにおける歴史的変遷
  ボランタリー・アソシエーションの機能
 3仲間集団の意味
  日本の若者組
  アメリカのボランタリー・アソシエーション
 4仲間集団の可能性
  適応的性格
  創造と変革
  仲間集団の可能性

VII成人式と一人前 151
  はじめに
 1成人式とは
 2成人式の事例
 3成人式の意味
 4日本の伝統的成人式
 5現代の日本における成人式と一人前

VIII性、愛、結婚 175
 1文化と性
  性の意味
  性の否定
  性の肯定
  美の標準
  みだしなみ
  受精、妊娠、出産、月経
  結婚、近親相姦禁忌
  婚外性交、婚前性交
 2性行為
  前戯
  性交
  禁欲、産制、自慰
 3同性愛
  両性愛的行動
  異性偽装

IX家族と親族 197
  はじめに
 1出生の前後
  生殖と父性
  生児の承認
 2多様な婚姻関係
  契約としての婚姻
  一夫多妻と一妻多夫
  居住規制
 3死後に残る絆
  祖先崇拝
  日本の「家」
  おわりに

X親と子 217
 1幼児儀礼の社会的意味
  産児が人間になるまで
  産児の試験期間
  日本の誕生儀礼
 2現代社会の親と子
  情報社会の中の親と子
  親子像のパラダイム
  核家族内の親と子
  社会関係としての親子
 3伝統社会の親と子
  社会的距離と親子関係
  隣接世代としての親と子
  同性としての親と子
  異性としての親と子
  父―息子関係の両義性
  伝統社会と現代社会

XI中年と老年 237
 1年齢と文化
  二つの事例
  中年の考察
  老年・老人の考察
 2諸民族の老人たち
  人類学と老人
  部族社会の老人
  産業社会の老人
 3老人と家族、親族
  家族、親族の重要性
  扶養者確保の手段
 4老人と文化
  老人の町
  日米の比較文化

XII死後の世界 263
 1霊魂観と他界
 2通過儀礼としての死――第一の死と第二の死
  霊魂の他界への移行
  通過儀礼の一つとしての葬儀
  葬儀の段階区分
  「第一の死」から「第二の死」への移行
 3現世からの分離ともがりの時空間――「第一の死」
  もがりの時間
 4死出の旅――「第二の死」への移行の過程
  死出の旅
  死出の旅の準備
  「死後の世界」の形状と死出の道行き
 5死後の世界への<入社式>――「第二の死」
  死後の霊魂の<入社式>
  死者の国への関門
  天国と地獄
  浄罪の過程としての煉獄
  複数の天界と輪廻転生
  むすびに

 

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