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2017年8月 7日 (月)

ref20170807深海 鯨が誘う想念の海

深海 鯨が誘うもうひとつの世界 著:藤原 義弘/中野 ひろみ 山と渓谷社

Deepsea

 

はじめに
 今、台風5号が近づいている。空は暗く、木々は枝を揺らされて葉を落としている。台風の風は、雨を斜めに降らせるようだ。

 雨の日には特別な思いがある。朝、雨が降っていると、出かける気がなくなる。というのも、部屋で原稿に集中できるチャンスだからだ。

 思うに、薄暗い中で聞こえて来る雨音と雨のにおいが、心を落ち着けてくれるからではないだろうか。

 また、雨雲に太陽を遮ぎられ、降り注ぐ水滴に囲まれると、陸にいながら、海中にいるような感覚にさせられるからではないだろうか。このエキゾチズムが想像力をかき立てるのだ。

 逆に晴れの日は、原稿が手に付かなかった。光あふれる外を見ていると、じっとしていられないのだ(太陽がっ、太陽が呼んでいる!)。今でも、晴天は机に向かうのがつらい。

 

004※1

 

 だから、気分を“アゲたい”ときは海の本を見る(この場合、落ち着かせるためだから、“サゲる”か?)。それは特に写真集に限る。文章を綴る抽象的な作業には、具体的な映像が効くと思う。この本もそうした中の1冊である。

 タイトルの通り、この本では深海を扱っている。基本的には深海生物の本だが、彼らが生きている環境にページを割いている。深海に関する本の多くが、生き物の、その奇怪な姿を載せるだけに終始する中、珍しいことだ。

 そして、これが今回、この本を取り上げた理由でもある。 

 

006※2

 

 HEKCの主概念の1つに「想念の海」がある。(→hekc090801想念の海)※ そこは神々や精霊たちの住処であり、概念が顕在化する超常の世界だ。もちろんその名の通り、モチーフは海である。

 イメージされるのは基本的に浜辺、光が射し、海藻やサンゴが繁り、魚たちが行きかう、生命にあふれた海だ。しかしそこは入り口である。本当の姿はその奥、いわば深海にあるのだ。

 想念の海の奥底には、世界の秘密が眠っている。しかしそこにたどり着く者はいない。現世との境界面を離れるほど、概念は純度を増していく。底に達する頃には、それらは人に扱えるものではなくなる。

 極限の世界、そのイメージに深海はピッタリだと思った。超高圧、低温、完全な闇、たとえ見えたとしても、チリの降り積もった地面を彩るものはなく、何もない荒野(砂漠?)がどこまでも続く。

 天上や天国とは真反対、かといって地獄と呼ぶには静かすぎる。むしろ冥界、まさに世界の果てだ。

 

008※3

 

 そうした荒野に点在するのが、今回のネタとなるものたちだ。一見、生命を拒む砂漠にもオアシスがあるように、暗闇の深海にも命をつなぐ場所があるのだ。

 この本はそれらをオアシスと呼びながらも、添えた言葉は後ろ向きだ。しかしそれがまた、人を寄せ付けない超常の世界のイメージによく合うのだ。

 なお、目次では3つとなっているが、もう一つ加えて4つとしたい。この異界にすら、人の手が入りつつあるのだ。これを無視するわけにはいかない。

 

光から闇への贈り物―鯨骨生物群集

海底温泉の客たち―熱水噴出孔生物群集・湧水生物群集

海底に沈んだ木でくらす―沈木生物群集

深海のゴミ問題(―人工物生物群集)

 ではそろそろ、想念の海へ赴くとしよう。世界の果てに挑む準備はできたか?

 では潜航開始・・・

 

光から闇への贈り物―鯨骨生物群集

 

010※4

 

 この本がクジラを主題に選んだのは慧眼だと思う。その巨体は偉大なる者を想わずにはいられない。寿命が尽きたクジラが深海に沈む様は、地上を去った神々の黄昏を思い出させる。クジラは海の王、あるいは巨人、あるいは神だ。

 海底に沈んだクジラは、他の生き物たちによって分解され、その生き物を食べる者を呼び寄せる。それは肉が朽ち、骨になっても続く。完全に、地に還るまで続くのだ。

 その過程そのものは命豊かな地上のそれと同じだが、生き物の極端に少ない深海では、とても貴重なものである。いわば、一つの世界≒生態系を作るのだ。

 クジラは死んで人々の生きる糧となり、世界を救う。キリスト教の有名なあの言葉のように、

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。」(ヨハネ福音書12章24節)

 あるいは、この章のタイトル「光から闇への贈り物」にちなんで、

「そは我が肉は真の食べ物、我が血は真の飲み物なり。」(ヨハネ福音書6章55節)

 余談だが、暗黒の海に沈んでいく様は、昇天とは違う現世の去り方だ。肉体を持ったまま地上を去る。どちらかと言えば、物質的で、キリスト教がやってくる前の、より古い世界観を感じさせる。

 また一方でこの現象には、もう一つ別のイメージが浮かぶ。

 王や神というのは強力な存在である反面、人々の間に長く留まることはできない。神は祭りのたびに来ては去る。神の力を得た英雄は、冒険の後に死んで地上を去る。王もまた、その死自体が人々から隠される(死んだという表現を避ける)。

 クジラが深海に去る姿には、地上には置いておけない危険なものを、人々から遠ざけようとする英雄の姿が重なるのだ(『指輪物語』のフロドたちのように)。

 「想念の海」の底には、きっと、とてつもない力を秘めたアーティファクトのような存在が眠っていることだろう。それを守護する集団というのも面白いかもしれない。アーティファクトが放つ魔力で、命を長らえながら永遠の時を生きるのだ。

 あるいは放出するたびに魔力は徐々に衰えて行き、いつかは地に還るかもしれない。そのときまで、かの地に留めるのが彼らの役割かもしれない(要は“分解者”のバリエーションだ)。

 こういう集団がポツポツと点在しているのではないだろうか。もちろん孤立していて、宇宙の密度ぐらい、ヨーロッパ大陸にハチが三匹ぐらいの希薄さであって欲しい。

 正直、他とつながりがある≒冥界に社会が広がっているのはちょっと嫌だ。それでは「この世の果て」というイメージにならない。第一、設定的にややこしそうだし。 

海底温泉の客たち―熱水噴出孔生物群集・湧水生物群集

 

100※5

 

 暗くて寒い冥界にも温かい場所はある。海底火山の周辺にある温泉だ。しかしその水温は100度を超えるうえに、通常の生物にとっては有害な物質を噴き出している。その光景は、どちらかと言えば、地獄に近い。冥界に地獄、ふさわしいと言えばふさわしい。

 クジラと違ってこちらは基本的に尽きることがない。そのため、恒常的な生態系が維持できる。タイトルの通り、そこは山間に開いた温泉街のようだ。

 しかし、こうした場所を楽しめる“客”だ。普通なわけがない。ここに集まるのは異形の者、あるいは神々だ。『千と千尋の神隠し』に登場する湯治場のような雰囲気だろうか。

 それとも、そびえ立つチムニー(噴き出す熱水から出るミネラルが作る煙突のような構造物)がニューヨークの摩天楼、あるいはラスヴェガスを思わせる。

 先ほどイメージした静寂の世界から一転して、蒸気と煙に彩られたスチームパンクな都市で、エネルギッシュな冒険活劇が楽しめそうだ。

 また、そうなると、土地というか、山を持っている者が街を支配することになる。より栄養のある水を噴き出す山を持つ者が、より大きな権力を持っている。

 不動産に重きを置く土地本位制とは、なんとも日本的に感じる。街の外はチリが降り注ぐ極寒の雪原、限られた空間にひしめき合うさまが内向きの島国生活を思わせる。

 その中では群雄割拠の小国家群が権勢を誇り合っている。権謀術策うずまく魔都でシティアドベンチャーもイケそうだ。この狭い世界で生きるしかない人間の悲哀も描けるかもしれない。

海底に沈んだ木でくらす―沈木生物群集

 

128※6

 

 海はもちろん、山野から流れてきた川の水で満たされている。森から流れてきた木は、大抵は浜辺に流れ着いてしまう。ただまれに、海の底までたどり着くものがある。

 こうした木も深海では貴重な栄養源になる。木もまた、光と生命あふれる世界からやってきた贈り物、これはいわば、「森からの贈り物」なのだ。

 特に巨木、それもまるごとの立木ともなれば、さらにイメージを掻き立てる。葉を付けたまま深海に立つ巨木、その威容は驚愕に値するだろう。さらに飛躍して、「深海に生える巨木」というのも面白いかもしれない。

 木と言えば、海ではサンゴ(あるいは海藻?)だろう。地上に森だけではなく、草原や砂漠があるように、海にもそれらがある。森の海は珊瑚礁だ。

 森もまた、人間にとっては異界のイメージの筆頭だ。余談だが、『ビッグフットの謎』では森という異界に焦点を当てた。(→ref20150828ビッグフットの謎)このコンテンツはその姉妹編という意味合いもある。

 サンゴ礁やケルプ(コンブ科に属する大きな 海藻類)の繁る海もまた、異界のイメージとして好適だ。もし機会があれば、それらを題材にした本も紹介したいと思っている。

 地上の森と珊瑚礁は、陸と海の好対照だ。地上では標高が上がるほど、海では深くなるほど、生き物は少なくなる。生き物が多いのは実は互いの境界部分なのだ。

 余談だが、両者が合体した現象がアマゾンで起こるのをテレビで見たことがある。そのときは「水没ジャングル」と呼ばれていた。それは多分、日常的な異界の標準的な姿だ(ん?)。

 一方、深海はその極端であり、生命からもっとも遠いところなのだ。しかしそこにも生物が生きている。その極限の環境で研ぎ澄まされた生き方が、人々を魅きつけるのだ。

深海のゴミ問題(―人工物生物群集)

 

1845※7

 

 深海に沈む者たちに、近年新しい仲間(?)が加わった。人が出すゴミもまた、深海で出会う者の1つになりつつある。

 以前は、核廃棄物などの深海への投棄が行われていた。これはある意味、地上に置いておけないものが持ち込まれたバリエーションの1つだ。

 常人がたどり着けない領域への追放は、封印の手段としては有効だ。殺すことができない、あるいは生き返るのなら、こうした「何もない」領域で朽ちるのを待つしかない。

 現在は多くの国家で、ゴミの海洋投棄は禁止されている。深海までたどり着くゴミは、基本的には、人が「捨てた」というよりも、事故などによって「沈んだ」という方が正確なのかもしれない。

 戦争で沈んだ船や、地震の津波で引きずられて行った車や家屋など、地上で起きたイベントのモニュメントという面がある。深海が地上の記憶を蓄えるのだ。

 海流によってこうした海のゴミが溜まる場所があれば、面白いかもしれない。敗戦を前に、再起の原資を積んだ船や、極秘に開発された決戦兵器を積んだ輸送機が沈むと、ここに行き着くことになる。

 なお、こうした「ゴミ」には金属部分が多く、生き物の栄養にはなりにくいように思える。あるいは金属すら栄養にする生き物がいるのだろうか。

 素人考えでは、どちらかと言えば、住処としての役割が大きいのではないだろうか。身を隠すところの少ない深海では、入り組んだ構造物が貴重だからだ。

 秘宝を乗せた船が冥界に沈む。一攫千金を夢見た冒険者がたどり着くと、船は異界の魔物が潜む迷宮になっていた・・・

 こうやって書いていると、使い古されたはずのダンジョンが久しぶりにやりたくなってくるから不思議だ。謎とは、意図的に作られるものではなく、時の流れによって生まれるものだと感じた。

おまけ
 海の生き物がこうした「ゴミ」を住処にしている写真集がある。見ていると、とてもほっこりした気分になるので、癒しにもお勧めだ。

うみのいえ』 大塚幸彦  岩波書店

 

深海研究の日々(―異界に触れる営み)

 

1867※8

 

 深海は異界である。地上にはないものがある。よってそうした場所を訪れる者がいる。彼らの目的は何だろう。真理の探求か、希少物の採集か、限界への挑戦か・・・万人向けではないが、人々を引き付ける魅力が海の底にはある。

 彼らが深海に赴く様子は、宇宙探索に似ていると思った。しかもこちらの方がより過酷に見える。真空とは逆の高圧が装備をいかつくするからだろう。進出が進めば、宇宙でも、こうした装備が必要になるだろうか。

 現実の深海は研究者の領域だ。今のところ、この手間と危険に見合うのは人類単位での知的好奇心、ということだろう。フィクションであれば、他の目的も成り立つはずだ。今までの与太話の中にも理由となるものがたくさんあっただろう。

 ところで、ここにあるマッコウクジラの骨が臭いという話は、とても興味深い。深海では気にならないものが、地上にあると、とんでもないことになるからだ。

 それは臭いを通り越して、化学物質による粘膜の炎症だ。気の持ち様で何とかなるものではない。死者は地上には住めない。死の穢れの本質がここにある気がする。

 そんなものに、わざわざ出向いて行って触れようとする研究者の姿に、現代の魔法使いを見た気がする。最近の魔法使いはみんな歌って踊れる(魔法で戦える)ものだが、それは彼らの本質ではない。

 彼らは魔法戦士ではなく、あくまでも学究の徒だ。彼らの力の源は豊かな知識であり、戦いの技はその実践に過ぎないのだ。

むすびに
 この企画は以前、「想念の海」の参照資料として用意されたものだ。しかしその目的が、写真を見てイメージすることであったため、著作権の問題が懸念された。画像を引用した場合、それを上回る文章量が必要だからだ。

 そのため、関係者のみ閲覧の非公開資料としていた。しかし今回、参照するページを絞り込むことで、引用の範囲に収められる(かもしれない)と判断した。

 今年2017年の夏休み特別企画として、文章量を増やして公開することにしたのだ(底本があるため、通常の形式を取っている)。

 当時の諸事情により、引用画像がモノクロとなっている。よって参照の際には原本にあたって欲しい(できれば買ってね)。

 多くの写真集の例にもれず、美しい写真が数多く載っている。異界のイメージが膨らむことだろう(毛色は変わっているが、深海生物図鑑としても秀逸だ)。

 特に、今日のように、水族館に行けない日には特におすすめである。ページをめくるたびに漆黒の闇に浮かび上がる異形の者たちが、あなたを世界の果てに運んでくれるだろう。

文責除温冷脳64(2017.08.07初出) https://twitter.com/johnlenon64

※HEKC=the Hyper Electric Knight Club(超電導騎士倶楽部) 現在第9版が稼働中。

超電導騎士倶楽部 第9版(カテゴリー)
https://kokutoarchives.cocolog-nifty.com/blog/hekc09/index.html

※1~8はすべて『深海 鯨が誘うもうひとつの世界』より

深海 鯨が誘うもうひとつの世界 目次

Prologue
地球表面の7/10は海
不思議がつまった海、深海
光なきオアシス

光から闇への贈り物―鯨骨生物群集
 海底に沈んだクジラには……
 「鯨骨は“飛び石”になるのだろうか?」

 クジラの肉を喰らう
 クジラの骨を喰らう
 くさったくじらの骨にくらす
 鯨骨に集う生きものたち

海底温泉の客たち―熱水噴出孔生物群集・湧水生物群集

海底に沈んだ木でくらす―沈木生物群集

もっと深海生物―深海住人ファイル

COLUMN
 深海の赤
 透きとおって闇に溶ける
 サイズを測る
 水槽で深海生物を飼う
 あっ、目が合った
 深海のゴミ問題
 深海生物研究の日々

 

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